「仕事なんか生きがいにするな」の著者の話し(日経ビジネスオンライン)
日経ビジネスオンライン2007/3/7号の記事に表記の本の著者のインタビュー記事があった。
著者は泉谷閑示さんという精神科医で著作も多数あるとのこと。
記事の中になるほどと思うことと、共感することが多数あった。
頭も心も同じようなものだろうと思っている人は少なくないと思いますが、それは間違いです。「頭」とは理性の場であり、一方の「心」は感情や欲求、感性、直観の場で、「身体」と分かち難くつながっています。例えば「頭」は仕事を進めるための情報処理を行い、過去を分析したり、未来を予測したりします。それに対して「心」は野生原理の感情や欲求の場ですから、仕事はしないで「休みたい」とか「眠りたい」「遊びたい」とかいう欲求を抱えていたりします。
本来、動物は「身体」と連携した「心」のみでできているのですが、近代以降の人間は、「頭(理性)」が思い上がって「心」の出した結論を軽視し却下しがちなのです。「頭」が「心」の欲求に常に「フタ」をしてしまっているのです。「頭」が「心」を強力にコントロールしようとしているわけですね。これでは、うつ病などの精神的な病気を引き起こしてしまうのも仕方のないことです。
心と身体はつながっているというのは、自分の体験とかメンタルを崩した人とかみても、わかる気がする。心の調子が悪い時には身体のどこかにも悪い症状がでてたりするし、その逆もある。というかどちらにもなんらかの影響が出ていそう。
それと頭で「仕事したくない」「仕事はしたい」と思う感覚は独立しているように感じる。
精神的に追い詰められた方々の原因を大別すると、「本人側」に原因がある場合と、その人が属している「環境側」に原因がある場合があります。本人側に問題がある場合は、たとえ勤務する会社を変えたところでいずれ同じ行き詰まりが生じるため、精神療法を通じて本人が抱えている問題の解消に努めていくことが不可欠になります。しかし、会社の体質や仕事の内容、上司との関係など、環境に原因がある場合は、さきほど申し上げたように、その人が本当に何をしたいのかをしっかりと突き詰めたうえで、転職したり独立起業したりすることも視野に入れるべきでしょう。
確かにどちらかによって治し方は違うだろうな。人によってどちらが原因かわからない場合もありそう。
- 「大通り」を行くだけが人生ではない
- 「自分は自分、人は人」という前提を忘れない
- 「自分と仲たがいするより、世界と仲たがいすることを選ぶ」
という章のタイトル
そうした方々は、企業が売り上げや利益を出すためといった「意義」をひたすら追求する“労働教”に疲弊してしまっているのです。
ぞんざいに「心=身体」を無視し続けると、いずれ“自爆テロ”を起こされるのがオチです。我々の「心=身体」は決してでたらめではありません。現代人は「心」をあまりに軽視し過ぎです。本来は「心」が社長で、「頭」はその秘書に過ぎないはずが、どうにも関係が逆転してしまっていて、秘書である「頭」が独裁者になり社長に「黙れ」とやっている。それが現代人の不幸の原因なのです。
現代人は、もはやハングリーに働かなくてもさすがに死ぬほどのことにはならないのに、「働くことこそ生きること」という“労働教”にいまだに洗脳されたままなのです。戦後すぐの時代の人々がハングリーに働くことが不可欠だったのは事実ですが、今はもう、そういう時代ではありません。にもかかわらず、日本人は「ハングリーモード」のスイッチを戻せなくなってしまっている。生きる手段に過ぎなかった「ハングリーに働くこと」自体が、自己目的化してしまっているのです。もっと一人ひとりが「生きる意味」を大切に生きてもよいのではないでしょうか。
むしろ、「あの人は社会から落伍した」とか、「負け組だ」などと世間から思われるのが、多くの人は嫌なのだと思うのです。「ムラ社会」の発想から抜けていないのです。辞めるときに同僚から「馬鹿だな」と言われたら、「馬鹿でーす!」と開き直ってもよいのではないでしょうか。世間的にうまくいっていると見られている人も、いつかは落伍するかもしれないし、それが人生でしょう。そして、誰でもいつかは必ず死ぬわけです。世間に振り回されている人が、最後に一番馬鹿を見るのではないでしょうか。「心」が本当にやりたいことをやらない人生なんて、後悔してもし切れません。
みんなもっと「キリギリス」になった方がよいのではないかと私は思うのです。「アリ」のように未来のためにコツコツと働いているだけでは、「今を生きる」前に死んでしまいます。
などと多くの部分を引用したくなってしまう。
精神的に弱ってる人、セミリタイアを夢見る人、働くことが当たり前と思っている人など、いろんな人に読んでもらいたい文章だと思った。
そして自分もこれらの言葉に勇気づけられて、人がなんと言おうが自分のやりたいようにやっていこうと思った。
日経ビジネスオンラインの記事
“労働教”から離脱し、キリギリスとして生きよ:日経ビジネスオンライン
仕事なんか生きがいにするな 生きる意味を再び考える (幻冬舎新書)
- 作者: 泉谷閑示
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2017/01/27
- メディア: Kindle版
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新しい上司との面談、カウントダウンへ!?
4月から異動する先の部署の上司と面談をした。4月からの担当業務はこう考えているとか、そういう話し。
そこで、自分の体の状況とそんなに長く働くつもりがないことを話す。「今の上司から何も聞いてないよー。」なんて言いつつも理解ある人で自分の思いを受け止めてもらった。
「俺は医者じゃないし、体のことは本人しかわからないからね。で、いつまでのつもり?」
と聞かれて「まぁ半年ですね。」と答えた。
じゃあ業務の割り振りは見直さないと…ということでいったん話し合いは終わり。
さて、これで退職までの期限もあと半年とカウントダウンが始まったか!?
いざ仕事を辞めるとなると、さすがにいろいろと不安は出てくる。でも何事も変化があれば不安はあるだろう。
金銭的なシミュレーションはある程度してるし、仕事辞めてからやりたいこともまぁいくつかは考えてるし、大丈夫だろうと自分に言い聞かせる。
異動情報解禁
4月からの異動情報が先週解禁になった。
私の情報は多くの人には驚きを持って迎えられたようだ。そりゃそうだよな。自分でもびっくりだもん。
さすがに今の自分は異動することは半分程度は気分的に受け入れているので落ち着いたものだ。(あとの半分は受け入れてないってことか?)
ありがたいことに「残念です」とか「寂しいです」とか言ってくれる人も何人かいる。
でも多くの人からは特に声をかけられることもなく…。まぁ話しかけにくいのかもしれないけど、どう思ってるのか知りたいよね。
そうは言いながらも、自分でさえ他の異動する人に話しかけたりしてないのたからお互い様である。
新しい部署で何をするのか、ぼんやりはわかるけど具体的にはまだわからないという不安。
そして何よりも「自分は早く仕事辞めたいんだよなー」という思いもあり、複雑な心境のままあと1ヶ月ほど過ごしそう。
「カンブリア宮殿」で「レオス・キャピタルワークス」の回から
先日の「カンブリア宮殿」の「レオス・キャピタルワークス株式会社」の回を見た。「ひふみ投信」を運用・販売している会社である。
投資云々の話しはアーリーリタイアとしてはあまり関係ない話しなのでここでは省略する(投資することでアーリーリタイアの可能性を高めるという意味では大いに関係あるがここでは置いておく)。
最後に出てきた、日本に観光にやってきた外国人に話しを聞いていた。曰く「投資をしていて資金に余裕があるから、旅行もできる」ということを言っていた。人によっては「投資額は1億円」だとか。そんな風にさらっといえるからこそ海外旅行もできるというものである。
対する日本人の60代くらいの夫婦。銀行の預金に頼る生活で、いつまでも働かないといけないという状況を対比させていた。
「投資に興味がない・拒否感がある」という人の割合の多い日本人に投資の有用性に気づいて欲しいなと思う。自分が積み立て投資によってある程度資金的に余裕を持たせることができたという実績もあるので。
「いつまでも働いて生活資金を確保しないといけない」と考えている人が多いのだろうが、お金を持っている・もっていないと「鶏・卵の関係」と思う。投資をする人の割合が多くなり、お金に余裕がある人が増えてくるとアーリーリタイアももう少し一般的になるのではないか?と思う。働かなくても生活できる人が増え、「無職でぶらぶらしている人」に対する偏見の目が弱まればアーリーリタイアをしやすくなると思う。
「みんなが働かずにぶらぶらしていたらいい」と思っているわけではない。働きたい人には大いに働いて欲しい。ただいくら働いても安月給でお金が貯まらない人とか長時間労働を続けて身体を壊したり自殺する人が出るような社会はおかしいと思うので、そういう人が少しでも投資という技を身につけて、多少なりとも気分的に余裕のある生活になればなぁと思う。
自分も身体の調子が悪いが、資金的に余裕があるからこそ、なんとか絶望せずに「まぁ仕事辞めてもいいか」と思えているのである。
逃げる準備
私がfeedlyで読んでるブログの1つですが、こんな記事がありました。
「あぁ、もう逃げ出したい」と真剣に考えている人は読むと良いかもです
そしてこのブログからリンクされている記事
「そなえよつねに」。仕事や人生の困難から「逃げる」準備をしておくメリット | サイボウズ式
まさに今の自分がちょうどこのような状況です。体をちょうど壊しかけ、というか実際に不調なんですけどね。
そして上司に相談して、まずは今の仕事からは逃げられる予定になってます。
でも、新しい仕事もまた新しい困難が待ってそうで、とてもじゃないけど壊れた体が治りそうな気は全然していない。
その次は今の会社から逃げるつもり。
このように決断できるのも、逃げる準備ができてるから。その備えが整いつつあるから。もちろん体を壊す前はまさかこんな使い方をしようとは全然思わなかった。すなわち会社を辞めよう、仕事を辞めようなんて全く思ってなかった。
でも体を壊すと考え方は全て変わってしまった。体を壊してまで無理してやりたい仕事か?
働かなくて済むのであれば働かなくても良いのでは?
そう考え、今の蓄えから今後の資金シミュレーションをするとなんとかなりそうなことが見えてきた。
逃げることができそうだったから、安心した。
蓄えをもししていなかったらと考えるとゾッとする。体を壊したままなんとか働かないといけないなんて。
逃げることについて日々不安はある。会社の人から引き止められるのではないか、変な目で見られるのではないか、など。
でも体を壊してまでそういうことに耐える必要はない。
今はもう、仕事を辞めた後にやりたいことを色々考えると、早く辞めたくて仕方ない。
「死ぬときに後悔すること」ベスト10
Twitter で流れて来た本の書評。その本は「死ぬときに後悔すること」。
人生の終末期の緩和医療に取り組む医師が「余命いくばくもない状態で、後悔すること」をインタビューしてまとめた内容。
「死ぬときに後悔すること」ベスト10 - 死ぬときに後悔すること など - シミルボン
この書評を書いた人はランキング形式で10のことを順位づけしている。
それを見て、「自分はこのためにアーリーリタイアしたいなぁ」と思うのがあった。
それは、
- 仕事ばかりだったこと
- 行きたい場所に行かなかったこと
- 自分のやりたいことをやらなかったこと
- 美味しいものを食べなかったこと
本当に、こういうことができなかったと後悔しながら死ぬのではなく、やりたいことをできるうちにやっておきたいなと思う。
職場で休み時間にゲームばかりしている同僚がいる。
ゲームをすること自体は人の好き好きだから何も言わないが、勉強とか、投資とかすることもなく、いつまでもこの会社で仕事するのだろうと漠然と思いながら、人生過ごすのは自分は嫌だなと思う。
それは本当に労働力を提供しているだけの人生のように思う。